Season 3-37 イギリスでの仕事の経験について
みなさん、日本語のポッドキャスト Japanese with Noriko ホストのNorikoです。はい、このポッドキャストは、私、Norikoがホストなんですが、シーズン1, 2, 3までありますね。現在シーズン3です。はい、シーズン1と2の文字起こしをしたトランスクリプトは、私のWebサイトで無料公開中です。シーズン3は、PDFファイルで文字起こし、提供してるんですが、二つのPDFファイルがあります。一つは漢字にふりがながない普通のPDFファイル。もう一つは、漢字にふりがなを付けた文字起こしのファイル、こちらはPatreon5ドルのメンバーと、Japanese Togetherというコミュニティメンバー限定になっています。
引き続き、私のファンクラブ、コミュニティ、Japanese Togetherのメンバーを募集しています。こちらは毎週のように、Podcast conversation Clubがあるんですね。私のポッドキャストについていろいろ話したい、Norikoさんにフィードバックを直接言いたい、私のファン、世界中にいるファン、面白い人たちがたくさんいるんですけど、その人たちと一緒に日本語を話して、モチベーションアップをしたい、会話の練習がしたいっていう方、ぜひぜひJapanese Togetherに参加してみてください。引き続きメンバー募集中です。
さて、今日のエピソードの内容はリクエストがありました。このリクエストの内容は、「Norikoさんのイギリスでの就職活動や、最初にした仕事などの経験について話してください」っていうことです。ずいぶん前の話になるんですが、思い出しながら話したいと思います。それでは最後まで聞いてください。
はい、それではリクエストの質問に答えたいんですが、イギリスでの就職活動とか最初にした仕事のこと、あのね、私は約16年前にイギリスに行きましたよね。で、そのとき、まだ結婚してなかったんですね。旦那さんと付き合っていて、旦那さんはイギリスでWork Permitっていうね、VISAでやってきました。私は旦那さんに遅れて、約3ヶ月あとかな、遅れてやってきたんです。そのとき私達はまだ籍を入れてなくって、恋人同士の関係だったので、私のビザはね、えっとね、「結婚する人のための準備ビザ」みたいな、ちょっと限定されたビザで6ヶ月しかいられないっていうビザで最初来ました。なので、その間は一切仕事ができませんでした。うん、なので、なので、最初に来たときは、英語もわからなくって、英語の学校に通い始めて、そして仕事はできないから、学校と家の往復。だから、家では家事をして料理をして掃除をして、そして、午前中、学校に行って英語の勉強をして、その間、結婚式の準備して、ベルファストのシティホールで籍を入れて、そして今度ビザのカテゴリーを変えるために、日本に一時帰国しなければいけなかったんですね。
で、日本に戻ってきて、ビザを「Work Permitを持っている人の配偶者ビザ」っていうカテゴリーで、はい、取り直してもう1回やってきたんです。で、そこからは仕事ができるんですね。ただ英語ができないから、困りました。うん、しかも私の日本でのメインのキャリア、仕事は学校の先生です。学校の先生(の資格)、日本で取りました。イギリスで学校の先生、もちろんできません。どうするか。で、もう1回イギリスで大学に入り直して勉強し直そうかなって思ったんだけど、そのときの気持ちはね、普通の会社員やりたいなって思ったんですね。もちろん・・・ちょっとうまく説明できるかな、日本にいる間に日本語教師の資格を取って、勉強して資格を取ってイギリスに来たから、日本語教師を最初からするっていうことはできたんだけど、私そのとき16年前、そんな気持ちがなかったんです。
普通にイギリスで会社で仕事をしたいと思ったんです。英語を使って会社で仕事をしたいって、そのときなぜか思ったんだね。なので、そういう準備を始めたんだけど、本当に大変。なぜなら、そういうイギリスで会社員の経験がないから、本当に仕事もらえなかったんです。でね、私、最初に何をやったと思いますか。まずはウェイトレスをしました。はい、普通にカフェでウェイトレスの仕事から始めました。オフィスの仕事じゃなかった。私、喫茶店、好きですね。カフェに行くのは好きだけど、カフェで働くのは本当に好きじゃなかったです。だって給料が安いから、ごめんなさい。本当に。しかも、私に向いている仕事だとは思ってなかった。なので、これはあくまでも経験だ、経験のために、私の履歴書のためだけにやるんだって割り切って、カフェで仕事をしました。
あと、たくさんボランティアの仕事もしました。ボランティアだから給料はもらえなかった。でもイギリスにはいろいろなボランティアの仕事があって、そういうボランティアをすると、履歴書に書けるし、そのリファレンスね、この人はちゃんとした人ですよ、ちゃんと仕事ができますよっていうね、推薦状みたいな推薦をしてもらえるって、聞いたので、ボランティアの仕事も積極的にして、三つぐらいしたかな。はい、それが本当に準備の時間でしたね。1年ぐらいかかったでしょうか?英語の学校にも通いながら、ね、ボランティアしたり、カフェで仕事をしたり、で、ようやくオフィスの仕事がもらえたんです。じゃ、それが私にとってオフィスでの仕事、最初の仕事だと思うんだけど、とっても変な仕事をしました。
はい、言ってもいいんじゃないかな。当時、Match.comって、今でもあるのかな。なんかね、Dating サイトみたいな、人の、デート目的の、でも、アプリじゃなくてWebサイトだったんだけど、その当時、16年前だから、あのMatch.comっていうのがあったんですね。そのカスタマーサービスを請け負っている会社がベルファストにあったんです。なので、私はその会社のMatch.comの部門の日本語のカスタマーサービスをしました。面白いでしょう。ベルファストで。ときには英語のカスタマーサービスのお手伝いもしたんだけど、Match.comっていうのが日本にもあって、で、日本で利用している人もいたので、日本人のお客様の、主に文句、苦情のメールに返事をする。なので、上司とかチームとか、HRの人、人事部の人とは英語で会話をしていたんだけど、仕事の内容は日本語のメールに日本語で答えるっていうカスタマーサービスの仕事が私の本当の最初の仕事だったんです。
でも、正直言いますね、やっぱり好きじゃなかった。なぜなら、本当に給料は安かったです。はい、誰かがカスタマーサービスの仕事をしなきゃいけないっていうのはわかってるんだけど、比較的、イギリスでそういうメールに答えるとか、お客様の文句に答えるとか、電話もあったんだけど、電話に答えるっていうカスタマーサービスのお仕事はお給料、低い方です。うん、低かった。しかも文句です。メールの内容は、これどうなってるんだとか、お金返せ、とかね、文句のメールに答えなきゃいけない。で、日本人はとてもそういう敬語とか、お客様は神様だから、なんでこんな対応するんだって。でも、Match.comは外国の会社ですね、ちょっと日本人に合うサービスがなかなか提供できなかったんですよね、当時ね。なので申し訳ございませんってメールで、とっても丁寧に答えなきゃいけなかったのはとっても嫌だったんです。面倒くさいなって。面倒くさいなって思いながら仕事をしてたんですよね。はい、懐かしいですね。約16年前ぐらいのお話です。
でも、そこから少しずついろいろ転職をしたんですね。し始めたんですね。その後ね、えーとね、何ですか、事務、事務の仕事、事務の仕事をしたり、ね、でもその事務の仕事もずっとなんか、プリン・・なんか掃除したり、プリントしたり、あの手紙を仕分けしたりとかね。そのオフィスの中では重要な仕事だってわかってるんだけど、私のやっぱり専門はね大学を出て、学校の先生になる資格を取って、なんでこんな仕事してるのかなって正直思ってました。これを言うと、本当に、え?なんでって、失礼じゃないって思う人いるかもしれないけど、私は当時そうだったんですね。なんでこんな仕事を嫌々してるんだろうみたいなね、まだ転職して、また転職していろいろいろいろ変わっていったんです。
正直、転職活動は本当に大変だと思う。多分一番の問題は、その私にイギリスでの大学卒業の経験がないっていうことと、イギリスでやっぱり長く働いた経験がないから、なかったからね、何してたんですか。日本で学校の先生してました。ふーん、ポジティブに受け入れられなかった受け、受け止めてもらえなかったんですよね。なので、たくさん面接受けたけどたくさん落ちました。本当に。で、うまくいった仕事は、悲しいかな、日本語を使う仕事ばっかりだったんですよね。でもね、後悔してないし、逆にいい経験ができたと思います。
なぜなら、日本語の先生に本格的に戻る、その、コロ・・・・Covidのときの前の仕事は本当に大きなEコマースの会社のマーケティングの部署だったんですね。この経験は本当に本当に今の仕事に役に立っています。はい、あのとき、マーケティングでそのSNSの活用の仕方とか、キャンペーンの作り方とか、準備の仕方とか、もうとにかくプランニングとか、そういうことをみっちり勉強させてもらって経験させてもらったので、今この日本語教師1人でやっていて、自分のマーケティングがうまくできている自信があります。そう言ったって、私のね、ポッドキャストとかYouTubeとかSNSでフォロワー数は小さいんです。でも私のブランディングはとても上手だと思っていて、それはその前の仕事、そのeコマースのマーケティングの部署で日本のアジアのマーケットを任された。マーケティングマネージャーの仕事をしてたんですけど、その経験が本当に活かされているんですね。
はい、でもそこまで本当に仕事、本当に楽しかったんです。そして給料もめっちゃ良かった。多分人生の中で一番良かった給料だったんですけど、本当にそこまでたどり着くのに、紆余曲折、肝心なときにね、言い間違えるなって思う、いつも思うんだよね、またやっちゃったね。紆余曲折。はい、あっち行ったりこっち行ったり、仕事を辞めたり、仕事探したりね、カスタマーサービスやって、事務の仕事やって、マーケティングの仕事で二つぐらいやって、でね、ほとんどベルファストでの経験だけど、そのうちの1年間はロンドンで経験しました。
これも本当に私の人生の中では、貴重な経験だったなって思うことなんですけど、本当に自分自身にチャレンジしたくって、マーケティングのね、マネージャーの仕事、日本のマーケットだったんだけど、それも、でもロンドンにある会社、に応募して面接に受かって、ロンドンまで来て面接してね、仕事をもらって、1人でロンドンで働いたんですね。その1年間は、私の夫はベルファストに残って、私はロンドンに残って、ベルファストとロンドン行き来するっていうね、私が単身赴任の状態だったんだけど、そのロンドンで暮らした経験は本当に私の中で自信になりました。それまではいつも旦那さんと一緒で、英語がわからなければ旦那さんに泣きついて、文句とかフラストレーションがあれば旦那さんに八つ当たりしてね、困っていたら旦那さんが助けてくれた。でも、ロンドンで一人暮らしはしてなかったんだけど、大家さんのフラットの一つの部屋を借りてね、大家さんと一緒に暮らして全て自分でやらなきゃいけない。お金の管理とかいろいろなこと、何かトラブルがあったら自分でするっていうのを、覚えたのがそのロンドンでの1年間、そして仕事もめっちゃ大変だったんですね。本当に大変だったから1年で辞めちゃったんだけど、でもあのときに何か挑戦したっていうのが、もう何か人生に悔いがなし。しかも、もう本当にロンドン好きで、あの憧れのロンドンに1年間住めたことは、私の中で大きな人生の糧になっていますね。
このトピック、リクエスト、リクエストしてくれた方、これで答えになってますでしょうか?とにかく私は後悔がありません。嫌だなって思う仕事も、でも一生懸命やりました。だって次に繋がると思ったから。ね、なんでこんな仕事してるんだろうってポジティブになれなかった自分もいたけど、一生懸命やったんです。そのときは、なぜなら、絶対、次もっといい仕事を見つけてやるぞって思ってたから、で、経験を重ねて経験を重ねて少しずつ履歴書にね、なんか深みが出てきて、今は私は日本語教師として1人で仕事をしていますね。いいと思います。それで。多分この後の人生で会社員に戻ることはないと思うんだけど、いや、わからないな。リバプールで何か面白い仕事があったらするかもしれないけど、でもね、今までの経験、全ての経験、50年ね、日本での経験、仕事での経験、イギリスでいろいろ転職した経験、全て私のこの50歳のNorikoさんの糧になっています。Norikoさんの中に染みついて、経験として残っていますね。なので皆さん無駄なことはないと思います。人生に無駄なことはないはずなんです。ということで終わっておきたいと思います。やっぱりまとまりがなかったかな。はい、以上です。